czwartek, 9 grudnia 2010
死者の書
2005年に川本喜八郎は「死者の書」と言う映画を撮りました。原作は「死者の書」と言う折口信夫によって書かれた本です。映画の内容は、奈良時代、藤原南家(ふじわらなんけ)の姫、郎女(いらつめ)の話です。郎女は「称讃浄土仏摂受経」(しょうさんじょうどぶっしょうじゅきょう)を一心に写経した。ある日、郎女は俤人(おもかげびと)の姿を見た。郎女は千部写経を終えてから二上山(ふたかみやま)のふもとにある當麻寺(たいまでら)へ行った。當麻寺で語り部の老女から、五十年ほど前、謀反の罪で処刑された大津皇子(おおつのみこ)の話を聞かされる。
飛鳥時代(550-710)、大津皇子は天武天皇(てんむてんのう)の息子だった。天武天皇の死去してから大津皇子は天智天皇(てんじてんのう)の息子と一緒に謀反を起こしたと言われています。けれども天武天皇の皇后がその陰謀に気が付いたため、23歳の大津皇子は殺された。
郎女は見た姿が仏だったと思う。がその姿は大津皇子の魂だった。郎女は大津皇子の身を被うように絹布を縫う。郎女は絹布に筆で菩薩の姿を描いて曼荼羅を作る。
現代はその曼荼羅は當麻寺にあります。藤原南家の姫について伝説はまだ生きています。
czwartek, 25 listopada 2010
2010年死去
川本喜八郎 (1925-2010)
8月 23日、享年 85歳、川本喜八郎が 肺炎のため 亡くなりました。
人形劇「三国志」や人形アニメ「鬼」などで知られる人形美術家でアニメ作家の川本喜八郎(かわもと・きはちろう)さんが23日、肺炎のため死去した。85歳だった。葬儀は親族で行った。(。。。)
東京に生まれ、1944年旧制横浜高等工業学校(現・横浜国大)建築科を卒業。46年に東宝撮影所美術部へ。東宝争議で解雇されるが、53年劇作家飯沢匡 (いいざわただし)さんに見いだされ共同で人形絵本を製作。人形アニメーションのCMも多数手がけた。
60年代に旧チェコスロバキアに留学し、人形アニメで世界的に知られるイジー・トルンカに師事。帰国後、「花折り」を皮切りに、「鬼」「道成寺」など日本の伝統的な美術様式や能・文楽の表現方法を取り入れた短編アニメを発表した。
人形たちの抑制された「演技」で、人間の業や情念を描く作品は、海外の映画祭でも高い評価を受けた。2005年には、折口信夫の小説を原作とした長編アニメ「死者の書」を発表、これが遺作となった。(。。。)
(http://www.asahi.com/showbiz/manga/TKY201008270124.html)
niedziela, 31 października 2010
川本喜八郎 (序論)
川本さんは日本の監督です。人形劇の映画の監督として人気がありますが監督だけでなく人形作家でもあります。
川本さんは日本の伝統の影響を受けて映画を作っています。
文楽という日本の人形芸術から自分の映画に人形を合わせましたが文楽の人形は川本さんの人形より大きいです。
しかも能というほかの伝統的な日本の伝統芸や仏教や神道や日本の神話は川本さんに大きな影響を与えていると思います。
川本さんは日本の伝統からだけでなく西洋の文化からも思想を持ってきます。
イジイトルンカというチエコのアニメーションの監督は川本さんの師匠です。イジイトルンカのおかげで川本さんはスローモーションの映画のテクニック[3]を 発見したそうです。
川本さんは西洋の画家にも関心があると思います。映画にはサルバドールダリやヒエロニムスボスの絵の影響が見られると思います。
ブログの話題はポーランド人の目で川本さんの映画をです。たくさんの映画がユウチユウブのインターネットページに見つけられると思います。たとえば 火宅;旅;死者の書;鬼 (映画の 題名)。
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